約 1,556,882 件
https://w.atwiki.jp/syumire-syon/pages/10.html
三国志対近代 交戦勢力 連合国軍 兵力 大将の名前 同盟國側 兵力 魏 500万 曹操 大日本帝国 1500万 蜀 500万 劉備 ソビエド連邦 2800万 呉 700万 孫権 戦況 戦争終結済み 初期状態地図 緑が連合国、赤が同盟国 戦況報告 地図は、同盟国は赤、連合国は緑。 第一次戦闘(THE FIRST WAR SANGOKUSI IN CHINA) (1941 4/28~12/26) AM10 17 海口航空基地から一式陸攻発進。 PM1 48 香港城陥落、公東陥落。 ↑一式陸攻 公東から二式中戦車による侵略を開始。 PM5 13 中国南部の大半が陥落。 この時点での地図 AM0 08 連合国軍の孔明の計によって戦車隊が思いのほか苦戦。侵攻が止まり始める。 AM0 38 大日本帝国軍の上海基地に連合国軍側の騎兵や槍兵、盾兵などの13万ほどの兵が襲撃。油断していた大日本帝国軍は辛くも撃退するも、奇襲により武器を装着前だった兵士が多数おり、そのほとんどが死亡し、生き残りも傷を負ったものが大半という醜態を見せてしまう。 AM8 47 損害を受けつつも、大日本帝国軍第19戦車中隊が山東に到達。しかし、大日本帝国陸軍も損害が大きいため、戦力立て直しのため、お互いに動かず、戦争が停滞する。 この時点での地図 少しずつ反撃が開始されているのがわかる。 第二次戦闘(SMALL WAR) (1942 7/13~1943 2/13) PM0 27 大日本帝国軍が再侵略を開始。上海基地に籠城している連合国軍の殲滅を開始するものの、苦戦する。 PM2 17 大日本帝国軍が四川に到達。 PM11 57 大日本帝国軍が四川城を攻略。しかし連合国軍側の罠にかかり、食中毒者が続出。大日本帝国軍は動けなくなる。 AM8 16 連合国軍が四川城を再攻略、奪還。食中毒者が続出していた大日本帝国軍はなすすべもなく敗走する。 AM11 42 連合国軍も、同盟国側もお互いに戦力を消耗したため、またもや戦争が停滞する。 第三次戦闘(Union of Soviet Socialist Republics participate in sangokusiChina war) (1943 8/17~1944 10/13) AM8 17 大日本帝国が日独伊三国同盟を一方的に破棄。その代わりにソビエド連邦と日ソ同盟を結ぶ。しかし、東南アジアや中国から日本は撤退しないため、アメリカ率いる連合国は許さなかった。一方ドイツ、イタリアも激怒していたが、もうこの頃にはドイツもイタリアもソ連やフランス、イギリスの連合国軍に押されていたため、何もできなかった。 PM1 18 ソビエド連邦が魏呉蜀三国同盟(連合国※忠実の方とは別。)に対し宣戦布告。戦況は一気に同盟国側に傾く。 PM11 13 大日本帝国軍が上海基地を奪還。 AM3 37 大日本帝国軍が四川を掌握。呉が騎馬隊50万による特攻隊を結成して特攻させ、大日本帝国軍に損害を与えたものの、戦車隊によって蹂躙される。 AM4 12 特攻隊壊滅。 AM6 34 ソビエド連邦が中国への侵攻を開始。 AM11 38 呉の本拠地の江陵に大日本帝国軍が到達。江陵攻防戦が開始。詳細は江陵攻防戦で PM1 18 ソビエド連邦が中国北部の制圧を開始。北部の半数近くをとり、大日本帝国と割譲統治する。 この時点での地図 ソ連の参戦もあり、同盟国側の制圧スピードが早くなっていっている。 PM8 23 大日本帝国とソ連が作戦打ち合わせのため侵攻を停止。魏蜀二国も戦力立て直しのため、またもや戦争が停滞する。 第四次戦闘(sangokusi China war end) (1944 12/27~1945 5/2) PM11 36 大日本帝国軍が侵攻を再開。連合国軍はこれに応戦、足止めするが、これが罠であり、まんまと罠にハマった諸葛孔明は、思惑にきづき進路転換を命じるも、 時すでに遅し。ソ連に殆どの部分を占領される。 この時点での地図 AM3 19 魏蜀二国が籠城を始める。 PM5 19 同盟国軍が籠城の防衛戦を突破。 AM8 24 ソ連がついに原爆を開発。 1945 4/28 11 27 籠城中の連合国軍に対し、ソ連製原爆を投下。 1945 5/2 13 38 三国志連合国が無条件降伏。
https://w.atwiki.jp/gomahuwa/pages/54.html
仁王帝国 銀色帝国
https://w.atwiki.jp/wadaisenryaku2/pages/64.html
島の死守 陣営情報 陣営 軍事費 都市収入 国家収入 都市 空港 港 陸 空 海 MAX 大日本帝国 2500 100 300 1 0 0 3 0 0 12 アメリカ合衆国 2000 100 300 1 0 1 2 0 0 6 ソビエト連邦 2000 100 300 1 0 1 2 0 0 6 ドイツ帝国 2000 100 300 1 0 1 2 0 0 6 イギリス 2000 100 300 1 0 1 2 0 0 6 マップ詳細 担当国 大日本帝国 参戦国 アメリカ合衆国、ソビエト連邦、ドイツ帝国、イギリス 作戦期間 45年3月1日~6月8日 MAPサイズ 14×14 ユニット生産 お勧めユニット 大日本帝国 アメリカ合衆国 ソビエト連邦 ドイツ帝国 イギリス 主力陸戦兵器 75mm野砲歩兵三式中戦車九八式軽戦車 パーシング155mmL.トムグレイハウンド T60 M42JS-2m152mm野砲親衛赤軍 2号戦車L型パンターG型150mm野砲 スチアート5シャーマン2Aブリースト歩兵44 マップ概要 日本が守る小さな島に4カ国が上陸して攻撃してきた感じのマップ。ところどころに要塞がある。日本以外は同名状態になっている。司令部がある都市以外の都市は崩壊している。天候は優れない。よく泥沼化する。増援は日本に2台、それ以外は1台補給車がある。 ~ アメリカ、ソビエト、ドイツ、イギリスの生産可能な都市は2ヵ所あるが、アメリカ以外は日本にとっても生産可能な都市になる。 国別攻略 大日本帝国 1VS4の代わりに熟練度がとても高い。マップを見ると自分の生産が可能な都市のうちアメリカ以外は敵補給車の初期位置は野砲の射程になる都市になっていると気がつくはず。うまく、そこを占領して野砲配置→司令部攻撃を狙いたい。アメリカは戦車と歩兵のほうが野砲より若干早い。 ~ まず最初のターンは、初期補給車はイギリスとドイツが生産可能な補給車がないほうの都市を工事する。生産はアメリカ側に3式中戦車1台、それ以外は歩兵を生産。もし相手の補給車が動いて工事しようとした時に反撃したり、次のターン攻撃したりするために使う。戦車はアメリカの補給車の工事の邪魔に行く。後は適当に野砲を都市の上においておけば、ほぼ同時期に敵司令部を落とせるはず。アメリカが若干手間が掛かるかも。以上対CPU戦。 ~ 対人ならば、対角のCPUの敵側の兵は減らしても野砲で何とか粘れる。対人なら重戦車などが出てくるはずなので、それらは早めに処理したい。 アメリカ合衆国 司令部の前が開けているため戦車の移動がしやすい反面、野砲は守りにくい。屈指の射程を誇る155mmL.トムは是非使いたい。ユニット上限が少ないので、占領はイギリスに任せたほうがいい。(理由はイギリスで)逆にパーシングでどんどん蹂躙していきたい。 ~ アメリカに限らないが、熟練度は日本に比べてはるかに低いので弱い敵で稼ぎたい。また、初期工事は初期位置の都市を行うほうが安全(対人)。 ソビエト連邦 山がちで出入口は都市なので守りに適している。野砲でこもることもできる。篭る篭らないに関わらず、全体的に弾数が少なめなので補給車はほぼ張り付き状態になる。 ドイツ帝国 攻める方向が、基本的にソビエト側なのでソビエトの潰し残したユニットを食べつつ熟練度をあげるとよい。また、ユニットに若干だが余裕があるのでうまく軽戦車で索敵範囲を補いたい。 イギリス 弱い。基本的にはアメリカの食べ残しを食べたいが、それも中々つらい。ブリーストで叩いたり、スチアート5で索敵したり補助に回るのが得策。押し込まれたら シャーマン2Aで粘りたい。歩兵は足が遅い事に定評があるが、アメリカも歩兵41なので足が遅い。距離とターンの順番の関係でイギリスが占領したほうがいい場合が多い。どうせ、連合国の都市ならどこででも補給できるわけだし・・・そして、弱いが司令部攻撃する歩兵を捻出するのもイギリスの役割。 コメント 攻略等に関して意見のある方はコメントをお寄せください。 また誤字脱字以外で特に攻略内容に変更を加えた場合は、変更箇所とその理由をコメントするようにしましょう。 名前 コメント 久々に引っ張り出してプレイしてみたら、対空砲の生産は不可でした・・・誤報を失礼いたしました。野砲に読み替えてやってくださいまし・・・ -- カグラ (2017-07-22 19 42 41) 体CPU戦では、大日本帝国陸軍のセオリー、対空砲という名の対戦車砲を南東の陣地へクスに置くことで、ドイツ第三帝国の行動を大幅に制限できる。補給車で弾薬をしっかり補給してやれば被るダメージは補給車で補充できる程度。 -- カグラ (2016-05-26 21 18 52) 大日本帝国で戦う場合、手早く撃破しないといつまでも守りに徹することになる。イギリスは野砲、ソビエトは戦車で押すと楽に撃破可能。戦車が強いドイツをどうにか撃破出来れば残りはアメリカだけになる。アメリカは数で押すと楽勝 -- ウラキ (2015-07-15 12 38 39) 大日本帝国で戦う場合、手早く撃破しないといつまでも守りに徹することになる。イギリスは野砲でソビエトはsん -- ウラキ (2015-07-15 12 35 27)
https://w.atwiki.jp/wadaisenryaku/pages/371.html
島の死守 陣営情報 陣営 軍事費 都市収入 国家収入 都市 空港 港 陸 空 海 MAX 大日本帝国 2500 100 300 1 0 0 3 0 0 12 アメリカ合衆国 2000 100 300 1 0 1 2 0 0 6 ソビエト連邦 2000 100 300 1 0 1 2 0 0 6 ドイツ帝国 2000 100 300 1 0 1 2 0 0 6 イギリス 2000 100 300 1 0 1 2 0 0 6 マップ詳細 担当国 大日本帝国 参戦国 アメリカ合衆国、ソビエト連邦、ドイツ帝国、イギリス 作戦期間 45年3月1日~6月8日 MAPサイズ 14×14 ユニット生産 お勧めユニット 大日本帝国 アメリカ合衆国 ソビエト連邦 ドイツ帝国 イギリス 主力陸戦兵器 75mm野砲歩兵三式中戦車九八式軽戦車 パーシング155mmL.トムグレイハウンド T60 M42JS-2m152mm野砲親衛赤軍 2号戦車L型パンターG型150mm野砲 スチアート5シャーマン2Aブリースト歩兵44 マップ概要 日本が守る小さな島に4カ国が上陸して攻撃してきた感じのマップ。ところどころに要塞がある。日本以外は同名状態になっている。司令部がある都市以外の都市は崩壊している。天候は優れない。よく泥沼化する。増援は日本に2台、それ以外は1台補給車がある。 アメリカ、ソビエト、ドイツ、イギリスの生産可能な都市は2ヵ所あるが、アメリカ以外は日本にとっても生産可能な都市になる。 国別攻略 大日本帝国 1VS4の代わりに熟練度がとても高い。マップを見ると自分の生産が可能な都市のうちアメリカ以外は敵補給車の初期位置は野砲の射程になる都市になっていると気がつくはず。うまく、そこを占領して野砲配置→司令部攻撃を狙いたい。アメリカは戦車と歩兵のほうが野砲より若干早い。 まず最初のターンは、初期補給車はイギリスとドイツが生産可能な補給車がないほうの都市を工事する。生産はアメリカ側に3式中戦車1台、それ以外は歩兵を生産。もし相手の補給車が動いて工事しようとした時に反撃したり、次のターン攻撃したりするために使う。戦車はアメリカの補給車の工事の邪魔に行く。後は適当に野砲を都市の上においておけば、ほぼ同時期に敵司令部を落とせるはず。アメリカが若干手間が掛かるかも。以上対CPU戦。 対人ならば、対角のCPUの敵側の兵は減らしても野砲で何とか粘れる。対人なら重戦車などが出てくるはずなので、それらは早めに処理したい。 アメリカ合衆国 司令部の前が開けているため戦車の移動がしやすい反面、野砲は守りにくい。屈指の射程を誇る155mmL.トムは是非使いたい。ユニット上限が少ないので、占領はイギリスに任せたほうがいい。(理由はイギリスで)逆にパーシングでどんどん蹂躙していきたい。 アメリカに限らないが、熟練度は日本に比べてはるかに低いので弱い敵で稼ぎたい。また、初期工事は初期位置の都市を行うほうが安全(対人)。 ソビエト連邦 山がちで出入口は都市なので守りに適している。野砲でこもることもできる。篭る篭らないに関わらず、全体的に弾数が少なめなので補給車はほぼ張り付き状態になる。 ドイツ帝国 攻める方向が、基本的にソビエト側なのでソビエトの潰し残したユニットを食べつつ熟練度をあげるとよい。また、ユニットに若干だが余裕があるのでうまく軽戦車で索敵範囲を補いたい。 イギリス 弱い。基本的にはアメリカの食べ残しを食べたいが、それも中々つらい。ブリーストで叩いたり、スチアート5で索敵したり補助に回るのが得策。押し込まれたら シャーマン2Aで粘りたい。歩兵は足が遅い事に定評があるが、アメリカも歩兵41なので足が遅い。距離とターンの順番の関係でイギリスが占領したほうがいい場合が多い。どうせ、連合国の都市ならどこででも補給できるわけだし・・・そして、弱いが司令部攻撃する歩兵を捻出するのもイギリスの役割。 コメント 攻略等に関して意見のある方はコメントをお寄せください。 また誤字脱字以外で 特に攻略内容に変更を加えた場合は、変更箇所とその理由をコメントするようにしましょう。 名前 コメント 久々に引っ張り出してプレイしてみたら、対空砲の生産は不可でした・・・誤報を失礼いたしました。野砲に読み替えてやってくださいまし・・・ -- カグラ (2017-07-22 19 42 41) 体CPU戦では、大日本帝国陸軍のセオリー、対空砲という名の対戦車砲を南東の陣地へクスに置くことで、ドイツ第三帝国の行動を大幅に制限できる。補給車で弾薬をしっかり補給してやれば被るダメージは補給車で補充できる程度。 -- カグラ (2016-05-26 21 18 52) 大日本帝国で戦う場合、手早く撃破しないといつまでも守りに徹することになる。イギリスは野砲、ソビエトは戦車で押すと楽に撃破可能。戦車が強いドイツをどうにか撃破出来れば残りはアメリカだけになる。アメリカは数で押すと楽勝 -- ウラキ (2015-07-15 12 38 39) 大日本帝国で戦う場合、手早く撃破しないといつまでも守りに徹することになる。イギリスは野砲でソビエトはsん -- ウラキ (2015-07-15 12 35 27)
https://w.atwiki.jp/battler/pages/838.html
最初で最後の右翼特撮ヒーロー 愛國戦隊大日本(あいこくせんたいだいにっぽん)とは、1982年8月完成の8ミリアマチュア特撮作品及びその主人公となる5人の戦隊である。 北から神國・日本を狙う悪の組織「レッドベアー」は、洗脳五カ年計画実行のため、怪人「ミンスク仮面」やヒラ戦闘員「ハラショマン」を使って、子供達の教科書を真っ赤に塗りたくる作戦を開始した。アイ・カミカゼ、アイ・ハラキリ、アイ・スキヤキ、アイ・テンプラ、アイ・ゲイシャの5人の愛國戰隊大日本は、巨大空中母艦「大日本戰艦」と巨大合体ロボ「大日本絡操(ダイニッポン・ロボ)」を駆り、アカの脅威から御國を守り抜くため、日夜戦い続ける。 全26話が設定されているが、実際に制作されたのは第3話の「びっくり君の教科書もまっ赤っか!」だけであった。 メンバー アイ・カミカゼ(赤) リーダー。本名:神風猛(じんぷう たけし)、有事に備え日々トレーニングを重ねるほか、読書もやっている。 アイ・ハラキリ(青) サブリーダー。本名:切原弾児(きりばら だんじ)、責任感が強く剣道の達人。 アイ・スキヤキ(緑) 本名:白滝肉男(しらたき にくお)、すき焼き大好きで怪力の持ち主。 アイ・ゲイシャ(桃) 本名:舞子ユキ(まいこ ゆき)、大日本の紅一点。 アイ・テンプラ(黄) 本名:衣あげる(ころも あげる)、普段は天ぷら屋を営んでいる。 富士山将軍 大日本の指揮官。オープニングでは顔が隠されている。 バトロイ キャラ情報 パラメーター:30/20/30/20 攻撃「カミカゼ「仲間割れとは%tekiももう終わりだな!」 回避「テンプラ「テンプラジャーンプ!」 ダメージ「ぐわぁっ!」 会心「日本剣!愛国富士山返し!」 勝利「こうして日本はアカの脅威から守られた。しかし、ロスケとの戦いは(ry」 敗北「富士山将軍「ダメだ、日本はとっくにアカの手に・・・」 逃走「ナレーション「起て、大日本!」 戦果(Marinonet.) ベスト記録 最多連勝:5 最多勝利:15 第4583回D-BR杯
https://w.atwiki.jp/asaahingaeaw/pages/154.html
軍閥系 日本の軍隊、憲兵組織などである。傭兵は旧暴力団に当たる。 大日本帝国軍 自衛隊・自衛軍 警察庁 海上保安庁 検察庁 傭兵 財閥系 日本には現状、財閥が解体されてもなお、今でも拡散企業として根強く残る。なお、所属企業は財閥によって異なる。()は創業者。 三菱財閥グループ(岩崎 弥太郎) 住友財閥(住友政友) 桜田財閥(櫻田 武) 三井財閥(三井高利) 浅野財閥(浅野 総一郎) 鴻池財閥(鴻池 新六) 佐川財閥(佐川 清) 安田財閥(安田 善次郎) 古河財閥(古河 市兵衛) 市川財閥(市川 浩一) 松下財閥(松下 幸之助) 大倉財閥(大倉 喜八郎) 鈴木財閥(鈴木 岩治郎) 中島財閥(中島 知久平) 鮎川財閥(鮎川 義介) 金子財閥(金子 晴友) 大田財閥(大田 幸雄) 野村財閥(野村 徳七) 上野財閥(上野 弘行) 柴崎財閥(柴崎 幸三郎) 徳永財閥(徳永 吉兵衛) 國締財閥(梶谷 楠正) 渋沢財閥(渋沢 栄一) 日本の政党 日本の政党は昭和から変わらず帝国主義の保守派と革新派の2つだけである。 昭和 立憲政友会 東方会 立憲帝政党 東洋自由党 帝国党 革新党 大政翼賛会 浦和戦友会 平成 立憲帝国党 政戦傑勇党 覇煌英民党 黒羽一成会 皇成日本党 凱日聖鳳党 令和 立憲帝国皇道党 皇政臣民宣道党 暁月鳳日真光党 国民斬傑勇新党 幕府 鎌倉幕府 室町幕府 徳川幕府 広島幕府
https://w.atwiki.jp/jp-summons/pages/977.html
Q. 日本が今後、兵器開発に魔法を取り入れる展開への是非は。 A. 2017年8月30日 ご質問ありがとうございます。 私の見解としては「開発は間違いなく行われるとしても、科学に対し基礎研究が圧倒的に劣り、『信頼に足る』と立証されるまで時間のかかる魔法を取り入れた兵器は、自衛隊に採用されるまでかなりの時間を要し、魔法帝国戦にはまず間に合わない」と考えています。(髙松) 他国ですでに運用中の対空魔振感知器などは、作中自衛隊に試験的に導入される(されている)でしょうね。ただそれは、試験中の事項で魔法と科学の差異がどれほどあるのか・科学でカバーできるものかの試験であり、結果の反映は基本的に基礎研究のある科学に反映されるのではないかと思います。(髙松) 第2巻の国旗は、諸事情があって私のほうでデザインしました。もちろん、みのろうさんときちんと協議しています。紋章学にはある程度即してますが、異世界ということもあってそこまで厳密ではありません。何より、ドラゴンなどの現実では架空とされてる生物が当たり前に存在していますので。(髙松) 例えば真竜種を国旗の意匠に取り入れる場合、「お前の国にその竜は住んでないだろう」とツッコミを受ける可能性があります。真竜が畏怖の象徴である国はたくさん存在しますが、ガハラ神国など一部ではよき隣人として共生しています。このあたりの違いが、国旗制定にも影響している感じです。(髙松) Q. 陸自がこれくらい激しい地上戦を展開する可能性はあるか? (湾岸戦争//世紀の戦車対決というタイトルの動画アドレスがあったのだがその動画は削除済み) また、皇国空爆の総出撃回数はどの程度の規模か。 A. 2017年9月14日 ご質問ありがとうございます。 先のことはみのろうさんにしかわからないので、私はお答えいたしかねます。 皇国空爆については、そこまで出撃回数を重ねていないと思います。これは民族紛争のゲリラ戦ではないからということが最大の理由ですが、要するに勝利条件、敗北条件が明確な相手には→ →相応の戦い方をする、ということですね。パーパルディア皇国の敗北条件は「国としての体裁が保てなくなったら負け」なので、軍事拠点や主力部隊を無力化すれば勝ちとなります。逆にパーパルディア皇国が日本に勝つためには、それこそ何千回という空爆をする必要があるでしょうが。(髙松) Q. 日本国召喚連載開始後に配備された護衛艦や巡視船が作中に登場しうるのか? A. 2017年10月16日 そうですね、2015年より前から建造中でしたのでそのまま続行しています。『かが』『しらぬい』もどこかで登場するかもしれませんね。また、新しい艦についてもパーパルディア皇国戦後かどこかで恐らく始まると思いますので、私も楽しみにしています。(髙松) Q. クワ・トイネに作った基地はロウリア戦後どうなったのか? A. 2017年9月25日 ご質問ありがとうございます。 クワ・トイネ救援基地は健在です。あの土地は無期限貸与ですので、クワ・トイネと日本のどちらかに何らかの理由がない限り、放棄または撤回はしません。 もう1つの質問については、第3巻で少しだけ触れますので、少々お待ちください。(髙松) Q. 自衛隊の非戦闘用各種の活躍や、転移時点で標的艦や解体予定の艦はどうなっているのでしょうか。 A. 2017年11月28日 そうですね、クワ・トイネ公国で美味しい食材使って美味しいご飯を作る陸自チームの話も面白そうですね! ご質問ありがとうございます。 みのろうさんに聞いてみないとわかりませんが、建造中の艦の計画がストップしていないように、退役計画は基本撤回されないと思います。(髙松) 退役なんかの計画はずいぶん前から決まっているでしょうし、残しておいても老朽化した艦はどうしても新造艦の足手まといになりますので、残しておく意味もないかなと。改装で延命できるものはして、新造するものは新造する、という従来の方針は変えないと思います。(髙松) Q. デュロの戦いあたりで潜水艦隊はどうしてたの? A. 2017年11月30日 ご質問ありがとうございます。 作中日本の潜水艦隊は、おそらく手薄になった場所の防衛にあたっているのだと思います。北海道から九州までの幅広い範囲の基地からアルタラス王国やクワ・トイネ公国に派遣されているので、末端が特に手薄になっていますので。(髙松) また、潜水艦の実態を新世界の国々にわざわざ晒して不利になることもないかなと思います。水上艦隊で対応できるのであれば、そっちに目を向けてもらったほうが好都合と考えたのではないでしょうか。(髙松) Q. 舞鶴を襲撃しに来た艦隊の迎撃は潜水艦にやらせるべきだったのでは? A. 2017年12月11日 ご指摘ありがとうございます。 これは別の方のご質問にもお答えしたことですが、潜水艦隊の存在を明るみにするのはまず得策ではないことと、敵が潜水艦・水中兵器に相当する攻撃手段を持っていないとも限らないので、警戒に徹していたほうが合理的かと思います。→(髙松) →何せ、作中日本国はパーパルディア皇国がどんな武器を持っていて、どんな運用をしているのか、知らないことのほうが多いのですから。(髙松) あともう1点、理由がありましたね。 そもそもデュロを叩く予定だった護衛隊群が(BP-3Cの出撃を待って)準備していたので、それを動かさずにわざわざ警戒待機中の潜水艦隊を動かすのは理にかなっていません。→(髙松) →はやぶさ艇を出せたのは、向こうから日本に近づいてくれたことから航行距離が短くて済んだこと、本来の存在理由に合致している点が挙げられると思います。(髙松) Q. フェン王国の戦いで被害者遺族が指揮官として参加しているが、これは救出作戦は報復ありきで立案されているのか? A. 2017年12月25日 ご質問ありがとうございます。 大規模作戦前でそもそも余裕がなかったという理由が大きいです。 また、被害者遺族である隊員が指揮官として参加するのは「あえて」見逃されました。(髙松) Q. フェン王国の戦いに参戦した護衛艦の総数は「すずつき」を含め何隻なのか。 A. 2018年1月3日 ご質問ありがとうございます。 これはすずつき含めて17隻です。マイラスとラッサンに護衛艦の性能を見せるために、特別に実演したような形となります。 皇軍陸戦部隊支援艦隊を沈めたあとは、他の16隻と合流し、後方で護衛隊群の動きを見学しています(マイラスとラッサンの安全確保のため)。(髙松) Q. 在日米軍及びその装備はどうなったのか。 A. 2018年1月16日 ご質問ありがとうございます。 在日米軍は指揮系統が本国にありますので、新世界では動かせません。ですので、本作では基本活躍しないものとお考えください。 装備については、日本がこれまで捻出してきた在日米軍への予算の中からメンテナンス費を出して維持しています。(髙松) Q. 巡視船「あきつしま」がムーまで外交官を載せて行っておりますが、日本からムーまでは2万海里以内なのか? 補給艦がついていったのか? A. 2018年2月16日 ご質問ありがとうございます。 日本からムーまでは、片道およそ2万kmというweb版通りの距離です。ムーでも給油できたので、単艦で往復しています。近くまでは護衛艦が1隻くらいは同行していたかもしれませんね。(髙松) 恐らくですが……ムーは重油、軽油、ガソリンの貯蔵庫を世界の各地に用意していると思います。日本も友好国となってからは、そういう場所をわりと頻繁に使わせてもらっているでしょうね。(髙松) あれ、2万kmでしたよね……!? 私の記憶違い……!?(焦(髙松) Q. 護衛艦「いずも」が実際の竣工日よりも前に本作に出演しているが、前倒しされたのか? A. 2018年2月25日 ご質問ありがとうございます。 現実でも洋上テスト中のはずですので、稼働可能な状態だったこともあって緊急時にすぐ動ける『いずも』が前倒しで就役して特使に選ばれたんだと思います。ヘリは積んでいても固定状態だったかもしれませんね。(髙松) Q. 現時点での日本で魔帝と戦って勝てるのか? A. 2018年3月6日 ご質問ありがとうございます。 これは先の展開に触れることになりますので、お答えできません。何卒ご了承ください。(髙松) Q. 日本が戦艦やそれに類する艦を建造する予定はあるのか? A. 2018年3月20日 ご質問ありがとうございます。 みのろうさんが日本の新型戦艦を登場させると仰ったのは確かなので、おそらく登場するとは思います。どのタイミングで、とは伺っていませんが……。(髙松) Q. 会議で巡視船「しきしま」が護衛した旅客船はどうなったのか? A. 2018年3月31日 「ミリシアルの街に」「派手な損害を与えること」が本来の目的だったので、軽微な損害はあるかもしれませんが、基本的に健在だと思います。特にグラ・バルカス帝国海軍はちゃんと統率も取れていますし、航空機乗りが勝手なことをするとは考えにくいです。→(髙松) →これも『ラ・カサミ』同様に日本に曳航して、修理に入るでしょうね。(髙松) Q. ついていった旅客船はどれだったの? A. 2018年4月1日 外務大臣、外交官が乗った客船の名前は、書泉さん、芳林堂さんで配布していただいた第4巻特典に記載されています。公開まで内緒ということで(笑)。→(髙松) Q. F-35の登場予定はあるのか? A. 2018年4月9日 ご質問ありがとうございます。 書籍版での転移時期が2015年初頭でして、この時点の日本にはF-35は配備されていません。ですので書籍でも現状、登場の予定はございません。(髙松) Q. 各国の大使館運営資金はどうなっているのか2 在日米軍の活躍予定 A. 2018年4月9日 ご質問ありがとうございます。 大使館については書籍や過去ツイートでも補足していますが、地球の諸外国の税金で運営されていたものですので、お察しです。 在日米軍も同様にアメリカ合衆国政府からの税金、指令で動きますので、本作で活躍予定はございません。(髙松) Q. 作中でやるかは置いておいて、在日米軍はいつか併合なり独立なりすると思うがどうなのでしょうか。 A. 2018年4月9日 おそらくですが、「異世界に転移したのなら戻ることも同様にあるはず」という論理が作中日本で成立しているはずですので、何らかのアクションがない限り併合、解体、独立はしないと思います。国の運営に支障が出る場合に限り、法改正で対処していくような方針だろうなと個人的に考えています。(髙松) Q. 現状日本は強化でどこまで遠征させる予定なのか? A. 2018年4月21日 これも今後の展開にかかわりますね。一応みのろうさんとお話している限りでは……すごく遠くまで検討しています。(髙松) Q. 転移当日に日本国外にあった自衛隊、海上保安庁の装備が作中に登場しているが、一緒に転移できたのか? A. 2018年4月22日 ご質問ありがとうございます。 恐らくですが、作中日本と現実の日本には微妙に違いがありますので、これらはたまたま日本にあったものと思われます。自衛隊拠点も撤退していたかもしれませんし、歴史にほんの小さな誤差が生じているのではないでしょうか。(髙松) Q. 現実日本において改修に入ったあたご型護衛艦はグラ・バルカス帝国編に登場できるのでしょうか? また、作中日本においても改修するのか? A. 2018年6月18日 こっちはどうでしょうね……あまり先延ばしにはできないですし活躍はできない可能性は高いと思いますが、みのろうさん次第としか……。(髙松) Q. エストシラント沖海鮮で第2・4護衛隊群の16隻以外に4隻ほど居たようだが、その護衛艦はどれなのか? また、この時点で「かが」が就役して第4護衛隊群旗艦を勤めているのか? A. 2018年6月22日 ちょっとうろ覚えで申し訳ございませんが、確か第3護衛隊群、第1護衛隊群から2隻ずつ選抜していたはずです。 エストシラント沖大海戦は中央暦1640年なので西暦2016年、『かが』は竣工したてか歴史がずれて繰り上がっていたとしても公試中だと思いますので、まだ就役していないでしょうね。(髙松) Q. 対パ戦において、海自が艦対空ミサイルを大量に使用しておりますが、 スタンダード及びESSMがラックボックスでアメリカからの輸入ですが今後生産は大丈夫なのか? A. 2018年7月10日 ご質問ありがとうございます。 当面は在庫を使用して、急ピッチで日本版電子制御部品を開発しているものと思います。単純に今までは色んな足かせがあって作れませんでしたが、異世界転移によってしがらみと予算捻出に抵抗がなくなったので、滞りなく供給されるでしょうね。(髙松) ミサイルに限らず、「日本で生産していなくとも日本で作れない道理はない」「作ろうと思えば作れる」を基本スタンスにして進めているとお考えいただくと、こうした疑問は概ね解消されるかと思います。(髙松) この辺りは、私も“非常に詳しい”友人に“色々と”話を聞いて確認していますので、一応のリアリティを担保しているつもりです(この件についてはこれ以上お話できませんけれども)。(髙松) Q. 巡視船「しきしま」の機関砲配置がムーの軍人の台詞と実際の配置が異なるが、これは作中日本で改修が行われたのか? A. 2018年7月14日 ご質問ありがとうございます。 これはいわゆる視点の違いってやつですね。ムーの人々から見れば、全長131mの『ラ・カサミ』でさえ40口径30.5センチ連装砲を搭載しているのに、全長150mの『しきしま』には35mmや40mmといった「豆鉄砲」しか搭載していない――そのように見えてしまうわけです。(髙松) 要するに「砲だとさえ思っていなかった」ということですね。もちろん現実の『しきしま』と同じ兵装ですよ。 みのろうさんは、こうした視点の違いによる表現方法の変更をあちこちに取り入れていますので、それを前提に読んでいただくと面白いかと思います。(髙松) Q. オスロ条約で退役した03式155mm多目的弾は生産再開したのか? また、クラスター爆弾の開発はしているのか? A. 2018年7月20日 ご質問ありがとうございます。 これはみのろうさんに伺ってみないとわかりませんが、多分在庫使い切ったらもう再生産はしないと思いますよ。旧世界とはいえ「非人道的だ」って名指しされた兵器を使い続けるのは、いくらなんでも心証が非常に悪いですし。(髙松) Q. 外伝に登場した「生駒」だが、なぜ天城型ではなく赤城型なのか? A. 2018年10月3日 ご質問ありがとうございます。 鋭いですね。元は天城型で、『赤城』が航空母艦として完成したのちに同様の手法(もう少し完成度を高めて)で航空母艦化した、元『高雄』です。(髙松) 質問をいただくまで忘れてました。(髙松) Q. なぜ異世界艦隊に初春型の二隻を行かせたのか? A. 2018年12月1日 ご質問ありがとうございます。 単純に時間の問題です。 第一次世界大戦後から徐々に準備し始めたので、初春型の2隻から着手した、ということです。(髙松) Q. 初春型作ってから吹雪型に戻ったの? A. 2018年12月3日 あ、すみません。どっちが先かは忘れていたのですが、吹雪型が先でしたらそっちが先です。 で、「問題があったから作るはずがない」というのはのちの歴史観によりますので、作った当時はそこに意味があったはずです。 また、吹雪型と初春型で分けた理由は冗長性です。→(髙松) 吹雪型、初春型のどちらかに問題があれば、片方がだめになって作戦行動に支障が出てしまいます。2種類を2隻作っておけば、1種類のどちらかが壊れても片方は動く、たとえ2隻とも壊れても2隻が残っている。そういう冗長性です。小さいからそれができました。(髙松) いずれにせよ、作った順番は艦種関係なく、史実に基づきます。書いたときに資料を残しておけばよかったのですが、大雑把なメモしか残していなかったので忘れてしまいました(苦笑)。(髙松) 古い時代、何の痕跡も残さず消えてしまうのですから、そりゃ不気味ですよね。「あの海域には船を襲う海魔がウヨウヨしている」「潮流がおかしなことになっていて、舵が利かなくなる」「沈んだ船の亡者たちに引きずり込まれる」とか、さながらバミューダ・トライアングル。面白そうですねぇ。(髙松) Q. ロデニウス沖大海戦に参加したのは第3護衛隊群でしたが、なぜ「ひゅうが」ではなく「いずも」が参戦していたのか? A. 2019年2月3日 ご質問ありがとうございます。 こちらは少々お待ちいただければと思います。みのろうさんに確認中です。(髙松) すみません、お待たせしました。 『ひゅうが』が第3護衛隊群に編入が2015年3月なので、この時点ではまだ入ってなかったんですね。 『いずも』の運用試験と、観戦武官を乗せるパフォーマンスを兼ねた出動を、第3護衛隊群が担った、という経緯だそうです。(髙松) ちょっと整理していきますね。 2015年1月に作中日本が新世界へ転移して、一旦混乱が起きてますから、艦船や航空機、港、飛行場の点検が入って麻痺状態に陥ってると思います。P-3Cは簡易の点検が済み次第、早急に近海調査に出たものと思われます。→(髙松) このときに再編計画が一時停止して、遅れが生じました。で、日本の国内の混乱を和らげるためにも、何らかのニュースが必要だったのでしょう。 そこで、2015年3月竣工予定だった『いずも』の予定を繰り上げて、運用試験を開始します。→(髙松) 4月、ロウリア・クワ・トイネ戦役が発生。遅れていた再編計画を再開と同時に、ロウリア王国を「武装勢力」と位置づけて介入を決定。 完成したばかりの『いずも』は話題性ばっちりで、観戦武官を乗せる任務を与えられます。その“護衛”に選ばれたのが、→(髙松) 本来は『ひゅうが』が入るはずの現第3護衛隊群だった――という流れになります。 ロウリア・クワ・トイネ戦役が終わったあとは当初の予定通りに再編しているので、この辺りは史実と結構ズレますね。(髙松) よくよく考えたら、ロウリア王国を「武装勢力」と位置づけるのは筋が通っていて、別に作中日本は国交も持っていなければ国家として承認もしていないんですよね。 すごい的確な法運用だと改めて感心しました。(髙松) Q. ラ・カサミ改にCIWSが4基も搭載されているが、日本独自の物かコピーに成功したのか? A, 2019年3月16日 ご質問ありがとうございます。 これはコピーですね。新世界への転移が確定となった時点で、自国の防衛装備を自前でまかなう必要が出てきたので、現役装備の全性能の解析に踏み切っています。 レドームについては……記述してましたっけ……?(髙松) 兵器類のライセンスは、作中日本政府が超法規的に「新世界にいる間に限り」「日本国内、日本の防衛に利用する用途に限定して」「日本の所有財産とする」という内容の法律によって、日本企業、日本政府が利用可能にしています。まぁその内容も、拡大解釈できるようにしているわけですが。(髙松) Q. 魔法と科学の融合した物の登場はありうるのか? A.2019年6月19日 こちらは私どもへの質問でよろしいでしょうか。 作中には科学と魔法のハイブリッドで発展している国はありますが、作中日本の自衛隊が魔法を取り入れる可能性は限りなく低いとお考えいただいて大丈夫です。 理由は、科学で発展している以上、科学のほうが効率がいいからです。(髙松) https //twitter.com/jp_summons/status/1141357881339420672 それと現実的な理由として、あまりに実像とかけ離れすぎてしまうと興ざめだからですね。やはり身近な存在がなるべくそのまま活躍しているほうが楽しめると思いますし。(髙松) https //twitter.com/jp_summons/status/1141359068574916608 Q. 現実日本では自衛隊の小銃が変更となりそうですが、こちらでも同じように変更になりそうなのか? A.2019年6月19日 ご質問ありがとうございます、お返事遅くなりました。 現実日本で起きたことはなるべく同じタイミングで取り入れるようにはしています。たとえば本編6巻のタイミングで和暦も『令和』になります。→(髙松) https //twitter.com/jp_summons/status/1185146977194917888 同様に、小銃の更新が入った段階で採用開始しますが、しばらくは従来の装備が使われると思いますし、すぐに活躍するかというと必ずしもそうなるとは限らないですね。(髙松) https //twitter.com/jp_summons/status/1185147220326117376 ※既存の[[コメント]]に返信する場合、返信したいコメントの左側にチェックを入れて下さい。 過去のコメント 名前 ここを編集 〔最終更新日:2019年10月19日〕
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/223.html
earthさま 大日本帝国、ハルケギニアへ 1未知の遺跡 2派遣軍 3『初めてのおつかい』 4『統合学術都市』整備計画 1クロスオーバーSS 《青の使者》 2《青の使者》 第二話 ネタ 偽予告『逆行者たちの憂鬱』 憂鬱日本が異世界に召喚
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/610.html
23 :ルルブ:2012/01/17(火) 20 36 46 ひゅうが様のネタから思いついてみた小さいネタです。 初めてなので温かい目で大目に見て欲しいです。 以下本文。 極秘文章「J-095」・宇宙歴790年8月15日 統合作戦本部 788年に接触した大日本帝国についての報告。 大日本帝国は単一国家と思われていたがそうではない。 大日本帝国が13日戦争以前の第二次世界大戦に勝利していこう、多くの国家がかの国の影響圏に組み込まれた。 それは13日戦争、シリウス戦役、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム登場、銀河連邦解体時も継承された。 具体的な例を挙げるなフィンランド共和国、タイ王国、独立インドシナ連邦、大英連邦などである。 これらの国々は「クニユズリ」、「大遷都」の宣言時に一部を大日本帝国移民船団と同行した。 その後、中央銀河開拓は数と技術で勝る「ニホン人」にこそ後れを取ったものの、およそ500年かけ独自の星間国家を築き上げた。 それらは小さいもので一つの惑星、一つの大陸であり、人口は1000万。 大きいものでは数個の恒星間国家で1億から10億前後である。 788年の接触時には明らかにされなかったが、大小合わせて約30の国家が大日本帝国の傘下の下に結集していた。 この国家の群れは、銀河系最大規模の国家、大日本帝国の関心を買う、或いは独走を許さぬよう楔を経済・通商・国際法・軍事などを共同とする条約を締結した。 それを、PTO、「惑星条約機構」と呼ぶ。 これらの加盟国(120億のヒューマン人口を持つ大日本帝国を別枠として)は総人口100億に迫り、穏やかな交流と苛烈なる経済戦争を行っていた。 この条約は銀河連邦時代の伝統を、否、地球時代の伝統を受け継いだと言える。 「惑星条約機構」。最大の勢力を誇る大日本帝国を議長兼調停国とした一大勢力である。 更に、1カ国でも交戦状態並びPTO総会にて援助要請を実行すれば、条約に従い全ての加盟国がこれに拘束される。 極めて攻撃的な集団安全保障条約である。 以下、惑星条約機構についての調査報告。 総兵力算定不能。 ヒューマン人口220億人前後 加盟国家、37国。 PTO統合宇宙艦隊、同盟政府・同盟軍基準にて7個艦隊(1個艦隊は15000隻) 各国自治軍(沿岸警備軍)、算定約25万隻。 加え、大日本帝国宇宙軍6個艦隊が加わる。 特に軍事部門は、整備・経済性・人的資源の希少性・政治的パフォーマンスから全て大日本帝国軍と共通規格で統一されている。 また、経済面では帝国・同盟・フェザーン全てを網羅して尚、互角である。 以上の点から、大日本帝国との交戦は、同盟の全兵力を投入をもってして初めて互角である。 故に、「テンノウ」という象徴的な皇帝や各国の王族・貴族階級が存続している事を理由に敵視する行為は極めて危険である。 第8艦隊司令官 シドニー・シトレ中将 第8艦隊分艦隊司令官 レオン・パエッタ少将 第8艦隊所属派遣武官 ヤン・ウェンリー この情報は最高評議会により極秘とされた。 そしてラインハルト・フォン・ローエングラムが銀河統一を求めて行動した時、巨大な障壁となるのである。 お粗末さまでした。 勝手に、あれ?大西洋大津波、アメリカ崩壊を知っている他の国人々が日本人が逃げ出すのにほかの友好国が王族や国民の避難をさせるんじゃねぇ? と、勝手に自由惑星同盟以外に、リスク回避のお家分散で生き延びた同盟国を登場させてみたくて書きました。 すいません。。。
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/750.html
日本近代史(にほんきんだいし) 明治時代 Template see? 大正時代 Template main? 1914年には第一次世界大戦が勃発した。日本は直接的戦闘地域は殆どなかったにもかかわらず元老の井上馨はその機会を「天佑」と言い、日英同盟を理由に参戦し戦勝国の一員となった。実質的損害はなく、戦火に揺れたヨーロッパの列強各国に代わり日本と当時まだまだ新興国家だった米国は貿易を加速させ、空前の好景気となり日本では成金などが出現するなど大きく経済を発展させた。 しかし1917年にはロシア革命が起こり、ソ連が成立した。日本は革命政権の転覆のためシベリアに出兵したが、折から国内では米価が暴騰し、富山県から米騒動が起こり、全国に広がった。政府はようやくそれを鎮圧したが、シベリア出兵を推進した寺内正毅首相は退陣し、代わって初めて爵位がなく、また衆議院に議席を持つ平民宰相として政友会の原敬が首相となった。政友会でも、西園寺公望が薩摩藩閥と結び付きが強かったのに対し、原敬は長州藩閥と結び付きが強かった。原敬の祖先は南部盛岡藩の藩士であったが、1922年、東京駅頭で一青年に暗殺された。 この当時、社会問題の深刻化が見られ、社会保障をめぐる議論も盛んとなり、米騒動後には、政府・地方で社会局の創設が相次いだ。 1923年(大正12年)には関東大震災が生じた。この未曾有の大災害に東京は大きな損害を受けるが、震災後、山本権兵衛内閣が成立し、その内務相となった後藤新平が辣腕を振るった。震災での壊滅を機会に江戸時代以来の東京の街を大幅に改良し、道路拡張や区画整理などを行いインフラが整備され、大変革を遂げた。またラジオ放送が始まるなど近代都市へと復興を遂げた。しかし、一部に計画されたパリやロンドンを参考にした環状道路や放射状道路等の理想的な近代都市への建設は行われず、日本は戦後の自動車社会になってそれを思い知らされることとなり、戦後の首都高速の建設につながる。一方、この震災に乗じて、暴動が生じるというデマが振り撒かれ、朝鮮人や共産主義者の虐殺が行われた亀戸事件などが起こったことは、歴史の負の側面であろう。 大正期を特色付けるのは、大正デモクラシーと称される政治の新しい動向である。明治末期にかけては軍部や元老山県有朋の下で藩閥政治が続いていたが、大正初期にかけては山県系列の桂太郎と比較的リベラルな西園寺公望が交代で組閣し、桂園時代とも呼ばれていた。明治45年、第2次西園寺内閣の陸軍大臣上原勇作が、内閣が2個師団増設を否決したことに抗議して単独辞任し、陸軍は後任陸相を出さなかったため軍部大臣現役武官制によって陸相を欠いた西園寺内閣は総辞職した。その後、桂太郎が議会での交代のルールを無視して宮中侍従長から3度目の首相に返り咲こうとした。桂太郎は、パーティなどでニコニコしながら相手の肩をポンと叩いて情誼を通じることが癖で、「ニコポン首相」と呼ばれていた。この桂の返り咲きに対して、都市部の知識階級を中心にその反発は強まった。そして尾崎行雄・犬養毅らによる憲政擁護運動(護憲運動)が起こり、新聞の批判も起こった外、民衆が国会を取り囲む事態も生じ、大正デモクラシーへと発展していった(第一次大正政変)。このため山本権兵衛(第1次)に組閣の命が下った。山本内閣は軍部大臣現役武官制を緩和するなど、事実上政友会に近い姿勢を示したが、シーメンス事件で退陣し、次いで庶民的で大衆に人気のあった大隈重信が組閣した。その後、関東大震災や虎ノ門事件の発生は、それまでの藩閥に危機意識を抱かせ、第2次山本権兵衛内閣が虎ノ門事件で倒れた後、枢密院議長から天下って清浦奎吾が内閣を組織しようとした。それに対し憲政会・革新倶楽部・政友会の三派は、普選の採用、政党内閣制の樹立を掲げて、藩閥・官僚勢力を主体とした政友本党に対抗した。護憲三派は選挙で勝利し、護憲三派内閣として加藤高明内閣が成立した(第二次大正政変)。加藤内閣は、1925年(大正14年)、身分や財産によらず成人男子すべてに選挙権を与える普通選挙法を成立させた。普選は、婦人の参政権は認めず、生活貧困者の選挙権も認めないなどの制約があった。またそれは「革命」の安全弁としての役割も期待されていたが、それと同時に治安維持法を成立させ、「国体の変革」「私有財産否定」の活動を厳重に取り締まった。しかしこれによって政党政治が定着するようになった。この後、1932年(昭和7年)に犬養毅内閣が五・一五事件で倒れるまで、政党政治が続き、明治以来の藩閥政治は一応終焉し、政治は、官僚や軍部を基盤にしつつも政党を中心に動いていくこととなった。 このころまでに近代日本語が多くの文筆家らの努力で形成された。今日に続く文章日本語のスタイルが完成し、芥川龍之介、有島武郎・武者小路実篤・志賀直哉ら白樺派、中里介山の『大菩薩峠』や『文藝春秋』の経営にも当った菊池寛などの文芸作品が登場した。同時期の大正10年には、小牧近江らによって雑誌『種蒔く人』が創刊され、昭和初期にかけてプロレタリア文学運動に発展した。また大正13年には、演劇で小山内薫が築地小劇場を創立し、新劇を確立させた。新聞、同人誌等が次第に普及し、新しい絵画や音楽、写真や「活動写真」と呼ばれた映画などのエンターテイメントも徐々に充実した。 昭和時代 Template main? 急速な技術進歩を続ける20世紀は、2度の世界大戦に象徴されるように、それまでの時代と異なり、国土そのものまでを破壊する大規模近代戦争を伴う動乱の時代でもあった。 昭和初期 第一次世界大戦では、まれに見る好景気で日本経済は大きく急成長を遂げた。しかし大戦が終結して諸列強の生産力が回復すると、日本の輸出は減少して早くも戦後恐慌となった。更に1927年(昭和2年)には、関東大震災の手形の焦げ付きが累積し、それをきっかけとする銀行への取り付け騒動が生じ、昭和金融恐慌となった。若槻礼次郎内閣は鈴木商店の不良債権を抱えた台湾銀行の救済のために緊急勅令を発しようとしたが、枢密院の反対に会い、総辞職した。あとを受けた田中義一内閣は、高橋是清蔵相の下でモラトリアム(支払い停止令)を発して全国の銀行の一斉休業と日銀からの緊急貸し出しによって急場をしのいだ。 一方、中国では孫文の後を蒋介石が継ぎ、国民政府軍が北伐(中国革命で中国北部の軍閥勢力を平定すること)を開始して、華北に進出した。田中内閣はこのため3回に及ぶ山東出兵を行い、東京で外交・軍部関係者を集めて東方会議を開き、満蒙の利害を死守することを確認した。これに基づいて政府は満州の実力者張作霖と交渉し、満州の権益の拡大を図ったが、張は応じず、関東軍は張の乗る列車を爆破して暗殺した。関東軍は当初この事件を中国国民政府軍の仕業だと公表したが、実際は関東軍参謀河本大作の仕業であったため国内の野党から「満州某重大事件」として追及された。田中は昭和天皇に事件の調査を約束しながら、陸軍の突き上げによって事態を曖昧にしようとしたため、天皇から説明を聞きたくないと不快を表明され、田中内閣はこのため総辞職した。世上では首相の名前を下から読んで、一つもよしことなかったと揶揄された。 田中内閣はもともと前の大正政変で生まれた護憲三派内閣、特に幣原外交の中国内政不干渉政策を「軟弱外交」として批判して登場した。従って田中義一は自ら外相を兼任し、中国での革命の進展に対して強く干渉した。しかし中国での武力行使に対する列国の批判をかわすためもあって、1928年(昭和3年)、パリで締結されたいわゆるパリ不戦条約には調印した。ただこの不戦条約は、第1条で「人民ノ名ニ於テ」戦争を放棄することをうたっており、天皇制をないがしろにするものとする批判が国内に生じたため、新聞紙上でも喧々諤々の論議が行なわれた末、翌年に至って批准された。また田中内閣は国内で思想取締強化をはかったことでも知られている。特に普選実施後、予想外の進出を示した無産政党や共産党に対する弾圧を強め、同年に3・15事件、翌年に4・16事件を起こして共産党系の活動家と同調者の大量検挙を行なった。その間、緊急勅令により、治安維持法を改正して最高刑を死刑とした。 一方、文化や社会科学の研究ではマルクス主義が隆盛となり、1932年(昭和7年)には、野呂栄太郎らによる『日本資本主義発達史講座』が岩波書店から発行され、知識層に多大の影響を及ぼした。その執筆者は「講座派」と呼ばれたが、それに対して批判的な向坂逸郎らは雑誌『労農』により、「労農派」と呼ばれた。両派は以後、活発な論戦を繰り広げたが、国家主義的革新運動の台頭に伴い、弾圧を受け、強制的に収束して行くこととなった。 そんな中1929年10月24日、ニューヨークのウォール街で株価の大暴落によって世界恐慌が引き起こされた。それは日本にも波及し、翌年、田中内閣の後を受けた浜口雄幸内閣が実行した金解禁を契機として昭和恐慌が引き起こされた。この恐慌は戦前の恐慌の内で最も深刻なものであった。英国・フランス・米国などが植民地囲い込みによるブロック経済で建て直しを図ったが、第一次世界大戦の敗戦で多額の賠償金を負っていたドイツや、目ぼしい植民地を持たない日本などは深刻化な経済不況に陥った。このことはファシズムの台頭を招き、ドイツではナチスを生み出す結果となり、日本では満州は日本の生命線であると主張され、軍の中国進出を押し進めてしまう要因となった。 各国が世界大戦後の財政負担に耐えかねている状況で米国や英国が中心となりワシントン軍縮条約が提案された。日本は英国・米国・フランス・イタリアと共に五大軍事大国としてこれに調印し、いわゆる列強になった。しかもワシントン条約の戦艦保有率を米英の5に対して日本が3を保持したことは、世界3位の国になったことになる。この軍縮条約では、日本の中国進出を牽制する内容や日英同盟破棄も含まれていたため、軍部や官僚の中でも激しい意見対立があった。 1931年には関東軍の謀略により柳条湖事件が引き起こされ、政府の戦争不拡大の方針を軍が無視する形で満州事変に発展し、ポツダム宣言受諾による降伏まで15年もの間繰り広げる十五年戦争に突き進んだ。このことで中国での権益、南方資源地帯の利権を巡り、欧米諸国との対立は深まっていった。また1932年には海軍将校らが犬養毅首相を射殺した五・一五事件や1936年に皇道派の青年将校が斎藤実内大臣と高橋蔵相を射殺した二・二六事件事件が起こり、軍部の暴走が目立ち、政党内閣は終焉にいたった。その後、軍部の勢力は強まり、広田弘毅内閣では過去に廃止となった軍部大臣現役武官制を復活させる。このことで現役軍人しか陸海軍大臣には就くことができず、軍の協力なしに内閣を組閣することができなくなり、議会はその役割を事実上停止する。日本の満州建国に前後して、国際連盟はリットン調査団を派遣し、その調査結果に基づいて、1933年、日本の撤退勧告案を42対1(反対は日本のみ、ほかにシャム(タイ)のみが棄権)で可決した。このため日本の代表松岡洋右は席を蹴って退場し、次いで国際連盟を脱退した。このことにより日本は国際的に決定的に孤立の道を歩んでいった。 1936年には、盧溝橋で日中両軍が衝突し、日中戦争(日華事変)が始った。ヨーロッパでは1939年9月、ナチス・ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が開始された。日本は当初、「欧州戦争に介入せず」と声明したが、1940年、フランスがナチス・ドイツに降伏し、ドイツ・イタリアの勢力が拡大するに及んで日独伊三国軍事同盟(三国同盟)を締結した。大西洋憲章を制定した米英の連合国に対し、日独伊は枢軸国と呼称されるようになった。 国内の文化・思想に関しては、戦時体制が強化されるにともなって治安維持法による思想弾圧が目立ち、1937年(昭和12)には、加藤勘十・鈴木茂三郎らの労農派の関係者が人民戦線の結成を企図したとして検挙される人民戦線事件が起こった。この時期には、合法的な反戦活動は殆ど不可能になって行った。 太平洋戦争 Template main? 日中戦争開始後、1937年、資源局と企画庁が統合されて企画院が設置され、満州国で功績を挙げた岸信介らの「革新官僚」が登用された。また近衛文麿を中心とする新体制運動が進められ、1940年10月、大政翼賛会が結成され、既成政党は解党して呼応した。この翼賛会は、経済新体制を創出する統制会・大日本産業報国会と並んで政治面で日中戦争及び太平洋戦争の遂行を支え、「高度国防国家体制」の創設を目指す大政翼賛運動の推進に当った。組織原則では、衆議は尽くすが最終的な決定は総裁が下すと言う「衆議統裁」形式が採られた。これはナチス・ドイツの組織原則を真似たものであると言われる。総裁は首相を兼任し、歴代総裁には近衛文麿、東条英機、小磯国昭、鈴木貫太郎が就任し、最初は総裁の指名によって事務総長に近衛側近の有馬頼寧(よりやす)が任命され、中央本部に総務・組織・政策・企画・議会の五局及び23部が設置された。地方にもこの支部が設けられ、支部長の多くは知事・市町村長が任命され、中央・地方に協力会議が設置された。しかしその部内では主導権争いが頻発し、また1941年には、公事結社とされて政治活動は禁止され、有馬らの近衛グループが退陣し、内務省及び警察主導の行政補助機関となって行った。 三国同盟の締結や仏印進駐によってアメリカ合衆国・イギリス・オランダとの関係が悪化し、戦争中の中華民国を含めて日本ではABCD包囲網と呼ぶ物資の入手困難な状況に陥った。大日本帝国では、大日本帝国陸軍を中心として対ソ連戦争を目指す北進論と南方に進出することを目標とする南進論との二派があったが、国境線が紛争となっていた張鼓峰とノモンハンで偵察的な戦闘を行った際、ソビエト連邦軍の戦車部隊に大敗した。これによって北方進出を諦め、日ソ中立条約を締結し北の守りを固めるなど対米戦争を準備する一方、外務省は1941年晩秋まで日米交渉を続けた。しかし、軍の強硬姿勢に押される形で交渉は難航し、当時ナチス・ドイツに対し完全な劣勢であったウィンストン・チャーチルイギリス首相と中華民国の蒋介石がアメリカ合衆国の参戦を要望し、フランクリン・ルーズベルトアメリカ合衆国大統領が大日本帝国海軍の艦隊行動に激怒したことからコーデル・ハル国務長官より日本のすべての植民地を返還する事などを要求する交渉案を提示され(通称ハル・ノート)、これを事実上の最後通牒と解釈した日本は対英米蘭開戦を決定した。このようにして太平洋戦争(当時の大日本帝国は戦争中一連の戦争を聖戦であるとみなし大東亜戦争と呼称した)が始まり、大日本帝国も第二次世界大戦に参戦することとなった。 1941年12月8日(現地時間12月7日)、大日本帝国海軍は、真珠湾攻撃で対米戦争を開始した。(開戦そのものについて、アメリカ側はルーズベルト大統領もハル国務長官もアメリカ大使館あてのパープル暗号電報を解読し内容は既に知られていた。外務省アメリカ大使館書記官の翻訳遅れで数時間宣戦布告の通告が遅れたので騙し討ちではないとの主張もある。開戦のリメンバー・パールハーバーのスローガンのもと反日感情が一気に高まった)しかし戦争の前途に確信があったわけではなく、開戦当初から、山本五十六は一年間は戦況を維持しうるが、それ以上は無理であろうと語っていたと言われ、表面的な派手な宣伝にもかかわらず、事態の認識は最初からより悲観的であった。また同日、東南アジアのイギリス、オランダ植民地も攻撃した。大日本帝国海軍は開戦当初、今でこそ一般的な航空母艦の艦載機を主力とする航空機を巧みに使用した新しい戦法を用いて、史上初めて航空機のみの攻撃によって活動中の戦艦を沈めるなど、アメリカ軍、イギリス軍、オランダ軍相手に連戦連勝であり、大日本帝国臣民はこの最初の大勝利に酔いしれた。 1942年、東条内閣は初戦での勝利を利用して翼賛選挙を実施し、翼賛政治体制を確立した。また大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本青少年団・大日本婦人会の官製国民運動6団体を翼賛会に従属させた。更に町内会と部落会に世話役を、隣組に世話人を置いた。世話役は町内会長が兼任し、全国で約21万人、世話人は隣組長兼任で約154万人であった。町内会は生活必需物資の配給機構をも兼ねていたので、国民生活はすみずみまで統制と監視にさらされることとなった。 当時大日本帝国は石油備蓄量がたったの2年分であったことから、南方の石油天然資源の制圧に乗り出した。当時、東南アジアはまだまだ欧米諸国の植民地であったために、この戦争を独立の機会として大日本帝国に賛成する動きも多かったが、大日本帝国の強硬な占領政策に大日本帝国への反発は大きくなっていった。大日本帝国はアジアにおける権利の正当性を訴えるため、1943年10月、東京で大東亜会議を開き、自主独立、東アジア各国の相互協力などを謳った大東亜共同宣言を発表した。これは、事後の「理屈付け」発想であり、実態は全く無かったとの批判があった。 そして、これまで劣勢だった米国はミッドウェー海戦を皮切りに巻き返し、次第に戦況は傾いていった。ミッドウェイ海戦では最重要の主力兵器である正規航空母艦4隻を失い開戦以来の大敗北した。しかしこの時から国民には偽りの戦況が伝えられ、大日本帝国臣民は大日本帝国海軍が負けていることを知らされず、戦況を知ることができなくなっていた。このころすでに、数百万の大軍を広大な大陸に無戦略に送り込み、最後には敵勢力を把握しない稚拙極まる戦いを続けていた中国大陸での消耗も激しかった。また、最重要資源となっていた石油も、制海権をなくしつつあることで大日本帝国への輸送が困難となっていたことから備蓄は底をついていった。兵器・戦略物資の損失を補充するための財政力、工業生産力ともにアメリカ合衆国の数10分の1でしかない大日本帝国の戦況は、目に見えて悪化していった。大政翼賛会は本土決戦体制への移行のため、1945年に解散し、国民義勇隊に改組された。 1944年7月にはサイパン島が陥落し、このことで大日本帝国本土は連日のように空襲に晒され、1945年3月10日には、大量無差別に民間人8万人以上殺され、焼失家屋は約27万8千戸、東京の3分の1以上の面積(40平方Km)が焼失するという東京大空襲が行なわれた。大日本帝国内ではすでに燃料と材料不足で稼動停止していた工場群や道路・港湾・鉄道等の社会資本も徹底的に破壊され、生活物資すら窮乏するようになった。それに対して、各種和平工作が企図されるが、国際社会との窓口を自らすべて放棄した大日本帝国にはこの時点ではすでに降伏する以外の選択肢はなかった。翌1945年7月26日、連合国はポツダム宣言を発表するが、大日本帝国政府は直ちには正式回答せず、アメリカ軍によって世界ではじめての原子爆弾実戦使用として広島市への原子爆弾投下と長崎市への原子爆弾投下され無差別に数十万人の民間人が殺されまたそれ以外の多数の民間人が被爆者にされた。そして御前会議の場において、昭和天皇の英断という形を取ることで政府は降伏を決定し(8月14日)、ポツダム宣言を受諾するとの結論に達した。 大日本帝国は当時唯一、中立条約により交戦国とはなっていなかったソビエト連邦の仲介での和平工作を行ったが、ヤルタ会談での連合国の申し合わせに従って大日本帝国政府にソ連対日宣戦布告を通告し、満州国に進撃した。関東軍は総崩れとなり、こぞって大日本帝国へ逃亡しようとした。今日にも波紋を引く中国残留孤児問題はこの時に生じた。これにより大日本帝国の無条件降伏は決定的となった。降伏の意思は翌8月15日正午、昭和天皇自らの日本放送協会のラジオ放送(玉音放送と呼ばれる)により大日本帝国臣民に伝えられた。 降伏文書の調印は9月2日に東京湾上の連合国、アメリカ合衆国海軍戦艦ミズーリ号艦上にて行われた。 連合国軍占領期 Template main? 敗戦後、日本はそれまで領土としていた、台湾・朝鮮・南樺太・南洋群島・千島列島・歯舞群島・色丹島を失った。このうち、千島列島および歯舞群島・色丹島については、各種の議論があり、1875年の樺太・千島交換条約で平和的に獲得されて日本の領土となったため、日本は千島列島全島の領土権を主張できるとの考え方もあるが、日本政府は、千島列島のうち、国後島と択捉島についてのみ日本固有の領土であると主張し、歯舞・色丹の2島は北海道に属すると説明している。また、ごく一部に南樺太の領有権を主張する動きもある。 1945年から1952年までの7年間にわたって、有史以来初めて外国(連合国軍最高司令官総司令部、多くの職員の国籍はアメリカ合衆国)に占領され、連合国最高司令官としてダグラス・マッカーサー元帥が着任した。マッカーサーは政治的には共和党右派で、本来反共的な傾向があったが、戦後直後の民主化は戦争直後の内閣として組閣された東久邇稔彦内閣の予想を超える急進的な内容を持っていた。東久邇内閣は戦時中の政治の継続を行っただけで、民主化の進展に対応できず、総辞職した。米国の占領下で、幣原喜重郎内閣、次いで吉田茂内閣を通じ、農地改革・財閥解体・労働改革の3大経済改革と呼ばれる民主化措置が実施された。また旧治安維持法が撤廃されるとともに二次にわたる公職追放が行われ、太平洋戦争に加担した者の公職からの追放及び被選挙権の停止措置が採られた。首相の座が目前の位置にいた鳩山一郎の場合、戦前の京大滝川事件時の文相であったことを理由に、政治的活動が制約された。また1946年には、極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷され、戦争犯罪人は、戦争を計画し遂行した平和への罪(A級)、捕虜虐待など通例の戦争犯罪(B級)、虐殺など人道に対する罪(C級)としてそれぞれ処断された。 連合国 (Allies) の日本占領は、事実上のアメリカ合衆国の単独占領であったが、直接統治方式による軍政(アメリカの高等弁務官による統治)は沖縄に施行されただけで、日本本土は間接統治方式によって日本政府を通じて占領政策が実施された。占領をめぐって、連合国内部にも意見の相違が表れ始め、ソ連のスターリンは、北海道の北半分のソ連占領を提案したが、アメリカのトルーマンが拒否し、本土は統一的なアメリカの占領下に置かれた。一方、トルーマンは「共産主義」封じ込めの必要を強調する「トルーマン・ドクトリン」を発表してギリシャでの内戦に介入し、チャーチルが「鉄のカーテン」演説で予測した東西「冷戦」が本格化した。 日本では、同じ敗戦国でも東西に分割されたドイツやオーストリア(ウィーン)、ソ連の単独占領となったルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、チェコ、スロヴァキアなどとは異なった占領形態が採られた。1951年、マッカーサーは朝鮮戦争で原爆使用の提案など強硬な主張を行ったことなどからトルーマンと対立して解任され、後任にマシュー・リッジウェイ中将が着任した。沖縄、小笠原諸島を除く日本の本土では、日本にも主権があったとされるが、「占領」下のこととて当然とはいえ、全ての法令、文書は占領軍の厳しい事前検査と許可が必要であった。検閲は戦前のような伏せ字による出版ではなく、書き直しが命じられた。1946年に日本国憲法が公布され、1951年の日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)で連合国との講和が完了して後に日本は事実上の主権を回復した。しかし米軍はほぼそのまま駐留軍と称して残留し、全土基地方式と呼ばれる方法によって日本各地に米軍基地が残された。 占領下の制定とはいえ、日本国憲法は主権は国民に存するとした国民主権(主権在民)や、基本的人権の尊重を明記した常識的な憲法であり、戦争を放棄し、国際紛争を武力や武力による威嚇によって解決しないという平和主義を加えた3大原則でなりたっている。日米安保条約や自衛隊が日本国憲法の平和主義に違反しないかについては、戦後古くから議論があり、また国の自衛権についても議論がある。またこの憲法によって女性の選挙権が初めて認められた。 15年戦争と敗戦によって国内経済は壊滅し、国民生活は混迷のきわみにあったが、中国革命の進展と朝鮮戦争の勃発により事態は一変した。アメリカは日本占領当初、日本の完全武装解除により、非軍事化を遂行し、極東のスイスを建設すると言明していた。しかし政治反動の傾向は1947年には早くも現れ始めていた。その上、1949年に中国大陸で蒋介石に代わって毛沢東政権が成立すると、対日戦略を完全に転換し、日本の再武装を進め、東アジアの最重要軍事戦略拠点として位置づけ、「逆コース」とも呼ばれる政策の転換が次々と生じた。戦後の変化の特徴を示すのは労働運動の盛り上がりで、国鉄や読売新聞等では労働組合による自主管理も行なわれた。東宝争議では、社長が2つの赤(赤字と赤旗)の追放を目標とした人員整理を行ったところ、三船敏郎、池部良、久我美子らの映画スターを含む社員が街頭に出て、反対運動を行った。しかしこの頃、国鉄の下山事件、三鷹事件、松川事件などの怪事件が次々と起こり、それらが労働運動によって起こされたと宣伝された。同時にレッドパージが行われ、小中高及び大学の共産主義的教員が追放されるに至った。それは、アメリカで吹きすさんだマッカーシー旋風(赤狩り)と軌を一にしていた。 文化面においては、日本映画が全盛時代を迎え、東映・大映・松竹・東宝・日活のメジャー5社が毎週競って新作を2本平均で上映する映画館は最大の娯楽施設となった。またラジオ放送も広範に普及し、歌謡曲やバラエティ、相撲や野球の実況放送が好んで聞かれた。同時にアメリカをはじめとする外国映画やポピュラー音楽も急速に流入した(当時は一般にポピュラー音楽はみな「ジャズ」と呼ばれた)。一方、国語の問題についても昭和21年の現代かなづかい・当用漢字の制定や、新聞の検閲などが行われた。 講和後 - 昭和後期 自由主義陣営諸国の旗頭である米国にとって最前線の重要拠点となった日本は、朝鮮戦争、ベトナム戦争の軍需の有刺鉄線やドラム缶などの補給物資の生産や輸送による特需、そして膨大な駐留米軍の生活消費など需要により、奇跡的な速度で経済が復興し、さらに1960年から1970年代初めまで続く驚異的な高度経済成長を遂げるに至る。「昭和元禄」と呼ばれ、週刊誌や月刊誌の創刊が目立った。子供向けの漫画や映画と並んでテレビ放送も普及した。東海道新幹線開業、名神高速道路開通、東京オリンピックの開催、大阪万国博覧会の成功によって最高潮を迎えたが、中東戦争がもたらしたオイルショックによって成長が終わる。 この奇跡の復興は、米国の戦略上の必要から国内治安と国土防衛のために微小な規模で警察予備隊(後に自衛隊)を保持したとはいえ、憲法では戦力の保持を禁じていたことにより、当時の自由主義諸国の国防費の対GDP比でいえば、完全に国防費負担から解放されているというに等しい財政上の僥倖が大きく寄与している。このことはドイツ、イタリアは勿論、大戦後独立した多くのアジア諸国が、通常の国防費を支出しながらの日本と同じような速度での経済成長を望み得なかったことでも明らかである。その反面、アメリカに朝鮮戦争の戦費を終戦処理費の名目で負担させられたり、米軍駐留に膨大な資金負担を要求されてきたことは見過ごされがちである。沖縄返還の時も日本政府はアメリカに対し多額の資金を提供した。日米安保条約と日米地位協定によって米軍基地が日本各地に残されており、米軍犯罪時の裁判や事故などをめぐってトラブルも絶えず生じた。特に沖縄ではこうした問題がしばしば起こった。また核持込をめぐっても不明確なままに推移しており、日本の非核三原則についてもしばしば問題となるようになった。また、米軍駐留に対する日本の資金負担は、思いやり予算という形で現在も行われている。 急速な経済成長に合わせて人口はさらに増加した。戦後すぐの第1次ベビーブームを経て、人口はついに1億人を超えた。ベビーブームで生まれた世代は団塊の世代と呼ばれ、戦争を知らず、その膨大な世代人口の中で勝ち残るための競争に身をささげることになり、自己主張はどの世代よりも激しくなった。地方出身者は口減らしのために都市部へ集団で送り込まれ(集団就職)、彼らは金の卵と呼ばれ、集団就職列車も運行された。都市部の中小企業に就職した彼らの豊富な労働力が日本経済を支えた。 一方、都市出身者や金銭的に余裕のある者は高校と大学へ進学し、高等教育の大衆化がすすんだ。人生を左右する思春期に60年安保闘争を目にした彼らはそれを見習い、既存社会や日本共産党と日本社会党等の「旧左翼」への反発から、新左翼が学生運動をリードするようになり、大学紛争が激しくなった。大学改革闘争やベトナム戦争反対運動などで勢いは高まった。東大紛争や日大紛争を経て、彼らの多くは屈服を強いられ、一部セクトは「既成政党」の打倒や「革命」を叫び、暴力的なテロ活動へと走った。当初市民の間には、社会への不満から学園闘争へ共感を持つ者も少なくなかったが、その後彼らの起こすテロ活動や内ゲバが顕在化するにつれ、市民の支持を失っていった。その影響もあって都市部の市民の多くは支持政党を持たない無党派層となった。これはその後続く自由民主党の単独長期政権の存在を許す結果となる。しかし1970年代は、公害の激化や社会問題の深刻となる中で、消費者や地域住民という立場からなされる新しい市民運動が盛り上がった時期でもある。社会党と共産党の革新統一の為の協定が結ばれ、東京の美濃部亮吉をはじめとして、京都、大阪、神奈川などの主要地方自治体で続々革新自治体が生まれた。京都ではほとんど共産党単独支持の蜷川虎三が多選を果たした。しかし後には、社共共闘が消滅したことや保守の盛り返しによって、次々と保守体制に戻った。 戦後日本は、国際的には、終始米国を筆頭とする西側自由主義陣営に属し、日米安全保障条約に基づく同盟国として、ソビエト社会主義共和国連邦を筆頭とする社会主義陣営に対抗し冷戦期を乗り切ることができた。 一方、米国側に深刻で喫緊の事情があったとはいえ、日本国憲法の条文に抵触するおそれが高い自衛隊の設置を憲法改正なしに行われたことは、国民に憲法の権威を疑わせる結果となったという声もある。これは、明治憲法の不備を歪んだ解釈で乗り切ろうとして国策を誤った失敗を、再度繰り返す危険性をはらむのではないかと心配する声も一部にある。 大戦後の世界情勢の変化の影響で石油産油国と先進諸国との関係が複雑になった結果の2度の石油ショックを乗り切り、集中豪雨的な海外輸出の拡大によって爆発的な成長を続けた日本経済は、ついには1980年代半ば、戦後わずか30数年にしてGNPレベルではアメリカ合衆国に次ぐ経済力を持つようになるという奇跡の復興を完成し、人々の生活は有史以来初めてといえる豊かさになった。しかし1970年ころには、日本人の貧しさはかなり解消され、高度経済成長は一段落した。オイルショックを境に、高度成長時代は終わり、低成長時代へと変化した。しかし輸出依存の体質による円高と貿易黒字が問題視されるようになり、プラザ合意をへて内需拡大政策のもとでバブル景気を引き起こしてしまう。そのような転換の中で平成を迎える。 平成時代 Template main? 1991年にソビエト社会主義共和国連邦は、領土を構成していた共和国のすべてが独立し、解体された。その後、新たな世界構造を模索する状態が続き、日本は、国際連合に協力して海外で国際連合平和維持活動部隊を展開するようになったり、米国主導の湾岸戦争に資金援助をしたりするようになった。冷戦期を通じて整備されていった自衛隊は、ついには驚異的な経済力と円高に比例して金額ベースでは世界屈指になったにも関わらず、行政が合憲と解釈し、裁判所も憲法判断を避けるという、明治憲法下の統帥権の解釈にも似ているとされるものが続いていたが、21世紀をむかえるころになって、湾岸戦争、国連平和維持活動、イラク戦争などで自衛隊の海外活動が活発化し、自民党の悲願であった憲法改正の議論が前よりは高まってきたといわれている。 世界屈指の豊かな国となった日本は、表面的な生活と文化は欧米的に進歩し、自由と平等を謳歌し、これらの基盤の上に現代日本独自の文化が生まれるようにもなった。しかし1980年代後半からの異常な好景気が平成の幕開けとともに崩壊し、その後10年の間に経営の建て直しができなかった数多くの企業が倒産、もしくは欧米系企業を含む大手企業に買収された。企業の国際化によって人的な国際流動が活発になり、また南米出身の日系人を中心に、低賃金で働く発展途上国出身者を肉体労働者として雇うなど、社会の国際化がいっそう進んだ。価値観の多様化、個人主義という流れの中、戦後に確立した日本の社会価値観は変化した。家族の多様化に伴う共通価値観の変化、少年による凶悪犯罪、不況に伴う失業者の増加が問題視され、就職難で増加したフリーターやニートがバッシングを受けるなど、多様化した社会への不安が強まっている。 そうした中で、経済の行き詰まりとも見られる現象も見られ、マイナス成長すら記録されるようになった。そのため「構造不況」の克服、「構造改革」の必要が各方面から叫ばれるようになった。とくに東海地方では、過疎化や産業空洞化が進展し、大都市との格差が広がった。2005年頃から企業業績が改善し、景気の回復が言われるようになった。しかし企業の人件費抑制などにより、国民の生活が豊かになっているという実感はごく一部に限られ、改革によって景気が良くなると言う展望も見えないまま、増税が相次いで打ち出されようとしている。 一方、アジアでは中華人民共和国や大韓民国、マレーシア、ベトナムなどの経済発展が目立ち、そのように大きく変化しつつあるアジアにおける日本の位置についても考え直す必要も指摘されている。少なくとも今日、日本のみがアジアで唯一経済的に繁栄することに成功した国ではなくなっている。それどころかこのままでは、近い将来、日本の成功ならぬ「日本の失敗」について語らなくてはならなくなるかもしれない。中華人民共和国の「四つの近代化」、マレーシアなどアセアン (ASEAN) 諸国の共同体形成と近代化、ベトナムのドイモイなども現代の経済発展システムとして発展途上国では、より自らに近似的な経験として、日本の経験以上に注目されるようになっている。その意味では日本についても内側から見るだけではなく、外側から見る視点も必要となっていると言えるし、アジアについてより多元的な視点から考えることも必要となろう。 関連項目 日本近代建築史 東京時代 日本における検閲 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月3日 (木) 05 54。